2020/10/23 07:00
みなさん、こんにちは。ビューティーフード研究家の室谷真由美です。
今日のタイトルは「としまえん」。
「何故、タイトルがとしまえんなの!?」と思われたかと思いますが、2020年8月で、その長い歴史に幕を下ろした「としまえん」の最寄り駅、「豊島園駅」は、私の人生を切り開くスタートの場所だったのです。
私が上京したのは、26歳のときでした。
20歳のときに地元・福井で就職し、会社員として働いていました。毎日、会社員として日々を送る中、ふと人生このままでいいのかなと考えたのが、いわゆる「25歳の転機」といわれるとき。
会社は先輩や同僚にめぐまれて居心地が良く、社会人として、会社員として、日々楽しくお仕事をしていましたが、ある日突然、「会社は私がいなくても困らないんだ……」ということに気がついて、切ない気持ちになったことがありました。
私が就職したころは、バブルが弾けて数年が経ち、就職が困難でした。就職した会社でも、私が5年ぶりの新入社員で、配属された場所には同期がいませんでした。そんな中で、与えられた仕事は一生懸命、迷惑をかけないように、自分なりにがんばっていたつもりでした。
23歳のときのある日、突然、出勤途中の車の中で、腹痛に見舞われました。あまりの痛みにそのまま病院へ行ったところ、急性腹膜炎との診断でした。そのため急きょ、手術と入院を余儀なくされたのです。
もちろん、会社もお休み。小学生から短大まで、ほぼ休むことがなかった私が、まさか会社員になってから病気に休むことになるとは……ショックでした。とはいえ腹膜炎ですから、通常なら3日ほどで退院できるはず。そのはずだったのに、なんと医療ミスがあって、私は体を起こすことができなくなり、10日間も入院して、お仕事をお休みする羽目になってしまったのです。
それだけ長く休むと、私が担当しているお仕事を、先輩方にやっていただくことになる……それがとても悔しくて、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
ようやく退院してお仕事に復帰してみると、私がいなくても、普通にお仕事は滞りなく成立していました。当たり前のことですが、会社には室谷真由美という存在がいなくても、痛くもかゆくもないのだ、と思ってしまったのです。
認められる場所に行きたい。
そのとき、心からそう思いました。そして、室谷真由美とお仕事がしたいと言ってくれる場所を、自分を認めてくれる場所を、探し始めました。
しかしながら、その想いは漠然としすぎていました。何をやりたい、何になりたいという夢を持ったことのない私にとっては、絶望的でさえありました。
それから、がむしゃらに「室谷真由美にできること」を探し続けました。アンテナをはって、いろいろな習い事をしてみたり、興味が少しでもあることに挑戦してみたりしながら、それをプロフェッショナルとして成し遂げたいと思うほど、好きなことがあるのかどうか、試しては考えました。でも、何をやってもピンとくるものはなく、どれも中途半端。それなりにできるようになったとしても、プロにはなれるとも思えないし、その自信が持てない……。
周りの人にも相談しました。
客観的に見て、室谷真由美という人間は、何をやったら向いていると思うか、求められるようになると思うか。自分のことは自分が一番わかっているようで、わからないものですから、素直に人の意見に耳を傾けました。
ある日、同じ会社で別の部署に配属された同期の女性から、「真由美ちゃん、モデルやってみたら?」と言われました。そのときは「いやいやいやいや~、そんなのムリだよ!」としか返答できませんでしたが、楽しそう、やってみたい、という気持ちが心の中にあることに気がつきました。
そして、自分自身が頭から無理と思い込んで、自分の可能性をつぶしてきたことに気がついたのです。あきらめたり環境のせいにしたりして、やらない言い訳にしていただけ。
そう思いが至ったとき、学生だった19歳のときにお役目をいただいたミス東尋坊のお仕事で、テレビに出たり、取材を受けたり、PRに携わって表に出るという経験をしたことを思い出しました。そのときに経験したことは、とても楽しいものでした。私自身が選ばれてしたお仕事は、とてもとてもやりがいがありました。
モデル業なら、そのときそのとき、年齢に応じた役があるはずだから、何歳になっても仕事はあるだろうと思ったし、「室谷真由美」という人間を選んでもらってお仕事をするということになります。私が探し求めていた「認めてもらえる場所」は、そこにあるのかもしれないと思ったのです。
そこから、私のチャレンジが始まりました。
そのお話はまた別の機会にいたしますね。とにかく、そうして晴れて上京した最初の住まいが、豊島園駅だったのです。
何故、最初に住んだ東京の街が、豊島園だったのかとよく聞かれます。右も左も土地勘も全くない中で、週末、福井から東京へ行って物件探していたのですが、仕事が決まっているというわけでもないから、どこを拠点にしていいのかわかりません。不動産会社さんに勧められた物件をいくつか回って、最終的に、何故か豊島園に決まったのです。そこに決めた理由は、もう忘れてしまいました。
私の本当の人生の始まり。その始まりの場所は、豊島園でした。
(画・Photo by a*******************p b from Photo AC)